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15-10-06

階段の山

 羽黒山を後にした我らは、その汗を流すべく近くの温泉に立ち寄り、個人的な希望で無茶をいい、新庄経由で山形市へ帰ってきた。夕方のいい時間帯になっており、帰りの車のヘッドライトが数珠繋ぎになっていた。その後、スーパーで食べたいもの飲みたいものを気の向くままに仕入れ、山形牛を焼くだけというシンプルな宴で夜が更けた。羽黒山の写真を眺めては大笑いし、次は月山だと言って呆れられた。

 夜が静かだったように、朝もゆっくりと訪れた。最後の日だと言うのに焦りもせず穏やかで居られたのは、きっとここにまた来るだろうと言う形の無いものの、しっかりとした希望があったからだと思う。

 昨夜のビールで少し重い頭をヘッドレストに預けて山寺への道を発った。

 芋煮会のある川を越えていくらか走ると、ここも道が「赤い」。豪雪地帯によくある融雪用の噴水は、センターラインに取り付けられているが、過去に多くのところで地下水を汲み上げていたようで地中の成分がアスファルトに付着して赤く見えるそうだ。赤い道は往々にして轍が出来ている。冬場を除くと走りにくいこの道は、雪の時期になると轍がレールのようになるらしく、重宝するようであまり新しく打設しないそうだ。

 山寺に近づいてきた。

「山寺って、山の寺なんだよね。道どうなの?」

「階段だよ。」

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灯篭に傘がついてら、ハハン。

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マタ、かいだんデスカ・・・。

 猫背になって上を見上げると、何回もスイッチバックして階段が続いている。勾配は明らかに羽黒山よりある。

「昨日みたいに長くないから大丈夫だよ。」

「ホントウですな?」

 どこかの大学の学生が石碑を調査している。若い人よりも中高年の方々の数のほうが多い。羽黒山と違って、木陰が少なく直射日光が体力を奪う。Fのフィルムを装填しながら、パトローネって絶対に光がはいらないんだよな、と思った。不思議。

 道端には卒塔婆というべきか、不思議な柱が岩壁にもたれる様においてあった。柱の上部には輪というか丸い形の車輪のようなものが取り付けられており、実際にそれが動くのだ。チベットで、お経を読んだことになるアレみたいだ。名前を失念・・・。
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 二人とも昨日の疲れか、飲みすぎたビールのせいか頂上を目指し黙々と歩くのみになる。日差しも強く水も無くなり、頬を伝って汗が唇に触れる。

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 木が少なくなり、いくつものお堂が見えるようになると頂上が近くなった証拠だ。信仰のハイライトはもっとも奥に座する建物だろうが、観光のハイライトは小さなあの舞台。

 またもや狭い階段を上ると、岩からせり出すようにこじんまりとした天井の低い舞台があった。川を挟んで向かいの山々と目の高さが同じになれる場所だ。風が通り抜ける。
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欄干のそばで腰を下ろしてお弁当を開いている人や、遠くを眺める人、眼下に目を凝らす人、建物のつくりに目を瞠る人、それぞれがそれぞれで面白かった。もちろん眺めは言葉を失わせる力が充分にあったし、そらもこの上なく素晴らしかった。

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1-10-06

羽黒山古道下り

蕎麦を食べて、また境内をうろつく。M池に言われていた、四本柱の施設を探すためだ。しかし、なかなか見つからない。そもそも神社の境内に、墓地を見つけるのが困難だ。

と、そんなときに。

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これでどうですかM池さん。コメントしといてね。使えない資料だと思うけど、これしかなかったのだ。

参拝を終えたS本が。

「頂上から下に下りるバスがあるらしいですよ!」

人に言っていても疲れていたな、おぬし。

「えー。本数すくないんじゃん?」

「見てきますよ!」

必死だな、オイ・・・。

「よくわかりません・・・。」

「まじかよ。俺が見てくるわ。・・・・・・あと一時間後じゃねぇかよ!歩いておりよう。」

「まじすか・・・・。」

そんなわけで、帰りもあの古道を行くことになった。登りは二時間弱だったので、大幅に短縮されるだろうことはわかっていたが、あの勾配を下りるのは大きな恐怖を伴う。

また下を見ながら歩いていると。

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猪口と徳利だ。無類の酒好きらしい。

さらに

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今度は蓮の花と思われる。いままで見てきたものより大振りで掘りも深い。

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本当に、本当に酒が好きなんだな。サワーがジュースよりも安いこの時代を、さぞ恨めしく思っているだろう。

最後に見つけたのが、これだ。

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修験者のようだ。絵が現代的。

車での登坂より、足で歩くことを薦めます。

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羽黒山古道上り

大きな鳥居が車道をまたいでいる。S本の運転するヴィッツは、あっという間に鳥居をくぐって、羽黒山の境界内に入った。

ずっと田んぼだった周囲の風景が、この神域に集まる人を世話する店や宿が集まる町に変わっていった。しかし人影はまばらで、車の数も少ない。ちょうどお昼時だったからだろうか、気温も上がっていた。

標高は400m台で東京の高尾山よりも低い。というのが、そもそもの過ちであり、文字通りの過信だった。

S本「O松さん。頂上まで車でいけるらしいっすよ。」(彼は丁寧語を良く使う。)

O松「えぇ~、だって高尾山より低いじゃん。登ろうよ。それに古い道があるらしいよ。」

S本「そうしますかぁ。」

こうして始まってしまった。門での記念撮影を終え、そこをくぐると意気込みは肩透かしをくらい、いきなり道は下り坂となった。樹齢が千年もこえるという大きな杉の並木、いや森というべきか、が両側から、昔からそうであったように迎いいれてくれた。湿度があるながらも、すこしひんやりしていて、ところどころの木漏れ日が美しく山歩きには絶好の条件だった。

       

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少し湿った石段を下っていくと、素木のそれほど大きくない社がいくつか鎮座していた。仰々しさのない材の質感が山の雰囲気を崩さずに優しかった。

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また歩き出すと、立派な五重塔が建てられていた。ずっとそこにいたんだろう。謙虚に山を侵さずに座る、周囲の千年杉より背の低い五重塔は、神と仏の関係を見ているようだった。

いくつか平坦な石畳の道をゆくと、見上げるような階段があった。先が木立に隠れて見えない。上から振り返るとそのまま落ちてしまいそうな勾配だった。下を歩いて登っていくうちに、面白いものを見つけた。

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落書き、いや落彫りか。天狗さん。

この石を運んだ人、あるいは石を切り出した人の、もしくは道中の不届き者のものだろうか。

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これは、猪口と徳利だろうか。酒が飲みたいのを我慢したのか。

中腹の茶屋の傍で庄内平野を見渡しながら、向こうは三瀬の海があるのだな、と思い起こしながら再び気持ちのいい汗をかきながら階段を上る。

小さな子どもも、健脚のばあちゃんも登っているというのに、足が重くなってきた。元来、長距離走と近現代史には自信のあるS本は、そんなことをお構いもなしにさっさと何段も先を行く。

「Sっ!速いぃ~。旅は周りを見ながら楽しんでいくもんだぞ!」

正論のような言い訳をしながらも、周りが見る余裕がなくなってきた。あいかわらずS本は元気だ。

このあたりからカメラを構える気力がうせて来て、記録の写真も無くなり、S本との会話も少なくなる。いかんいかんと思って、

「なぁ、これを作った人はさ、なんで作ったのかな?」と聞いてみた。

S本「やっぱ、いろいろ生活が大変だったし、娯楽がなかったんじゃん。」

妙に納得。

頂上の鳥居が見える頃には水がなくなり吐く息で口内が乾きだした。手水の水を手で失敬し、飲み干す。

「手水の水ってさ、たまにサルモネラ菌とかいるらしいよ。ま、ここは山だから大丈夫かな。」

S本はポンプ屋だ。早く言え・・・。

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子どもは元気だ。右足に包帯を巻いているというのに。本当にあの石段を上ってきたのだろうか。

頂上は出羽三山神社の本殿がある。出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山だ。ここで参れば三山を拝したことになるのだろうか。しかし、参るとか参ら無いとか言う前に、滝のように流れる汗と、水を欲する渇望には勝てるわけも無く、鐘のしたで休んでいた。

友人の出産に備え、安産の守り購入した。信心深い人間だとは自分で思わないが、祈るのと祈らんとでは大きな違いなので、やはり出羽の神に武蔵の人間の安寧を祈った。

境内をうろうろすると水子地蔵に出会った。これも何かの縁にちがいないだろう。

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子を授かったことがないが、親を失うより大きな悲しみに潰されてしまうんじゃないだろうかと思い、立ち止まった。親も子も、生まれてきた年が違うが、生まれた瞬間から死ぬということは何よりも確実なもの、200%保証された唯一の出来事だ。しかし、その悲しみは、親や年長者の死よりも諦めきれない悔しさや憤りなど色々な感情が混じっているのではないだろうか。そんな人の想いがこの地蔵に集約されているような気がした。

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かざぐるまは回り続けていた。

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木のある森

昨夜は、S本宅についたあとにカップラーメンを食べて、食べたらS本が客人のために用意してくれた布団で、何故かS本が寝て、床にタオルを敷いて寝た。

起きたら背中が痛かった(そりゃそうだ)。しかし、人の家に泊まるのは久しぶりだったので、なんだか大学の時のようで楽しかった。昨日までの二日間にTVを一度も見る機会が無く、テレビをつけると天気予報が東北に来ていることを実感させた。S本は、週末しか機会が無いんだと言って洗濯物を干していた。窓から入る風が冷たいのに、いい天気だから秋である。朝飯は三瀬のホステルで頂いたパン。何もつけずに、コーヒーと頂く。それだけでも美味しいのだ。

出かけようとアパートの階段を下りると、大量のマッチ棒が散乱している。昨日のことを思い出してみると、この犯人はどうも、この京都からきた奴である。近くのコンビニに行く途中、道草のマッチをばら撒いて、そのままにしていたようだ。


山形駅前で借りたレンタカーで、出羽三山に向かう。

車は少ないし、空は穏やかでドライブ日和だ。山形市周辺は盆地になっていた。京都ほど小さな盆地ではないが、周囲を高い山で囲まれている。遠くに見える月山もその一つだ。月山。名前がいい。


その月山を越えて、日本海側に走る。鶴岡方面を目指していたので、ホステルのあった三瀬もそう遠くないところにまできていた。


鶴岡と山形を結ぶ古道は、六十里越街道と呼ばれている。千年も昔から、いろいろな人が歩いた道だ。修験者だけでなく、軍馬軍人、行商の人、紅花や葉タバコをこの道を使って運んだそうだ。偶然なことに山形へ来る、まったくその日に京都駅の0番ホームで日経新聞の夕刊を買ったら、この記事が出ていて、せめて近くまで行きたいと思っていた。

山は、森だった。

日本の山の四割は杉などが植えられた山である。有効利用の方法が見出せない中、山は人の手が入らないために、荒れているのだ。

高速道路といっても車が居ないので、一般道並みの40km/hで走るS本の超安全運転は、ゆっくりと山を見せてくれた。もこもこと苔の表面のように、いろいろな木が生えている。落葉樹や広葉樹だ。長い冬の後の新緑が眩しくて、夏の黒い緑が豊かで、秋の輝くような暖色が眩しい団栗が拾えたり出来る山だろう。本当に森だった。さまざまな種類の木が生きている、まさに森。歩いたらさぞ気持ちがいいだろう。


目指すのはM池に薦められた羽黒山だ。ちょうどS本も行ったことが無いと言うので、ゆっくりと車を走らせた。最近の音楽を良く知らない我ら二人は選曲がおかしい。

大合唱したのは、高校の校歌だ。山形までこのCDを持ってくるとは・・・。と言われたが、久々に歌いたかったのだ。歌詞も好きなんだけど、全国の校歌の中でもこんなに歌いにくい校歌は珍しいのではないだろうか。



むらさきのにほいし丘辺
ここ武蔵野
永き文化の血をうけて
今こそ時よ、この国の蝶よ
飛べおほむらさき

雲とざし風さやぎ
心破れ身屈すとも
語れその惑いを
求めよ友を
友あり近きにあり
今こそ時よ、この国の蝶よ
飛べおほむらさき

校歌とは思えない、この大らかさ。「学べ」「理想」「若人」「学びや」「信念」「正義の~」「ああ我が母校」いう定番単語がなくて、「友達を大事にしなさい」「なんかあったら友達と語りなさい」である。オオムラサキのように立派な蝶になりたいものだ。

話がそれましたが、「飛べぇ!おぉむらさぁきぃ!」とか田舎で叫んでいたら、あぁあの兄ちゃん達涼しくなっていきて虫採りにいくんか?と思われてしまう馬鹿なことをしていたのだ。

そうこうするうちに、羽黒山の近くまで来た。

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