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29-3-07

ラジオ

ラジオをもらった。

灰色の細長いやつだ。

アンテナはとれている。

FMとAMとTVがはいる。

台所においた。

朝、台所でニュースがきける。

チューニングした。

感度はいい。

意味不明な電波の嵐の中で、ある指向性と意識をもって発信された人の声が、春の夜に嬉しい。

明日の朝はどこのチャンネルに合わせようか。

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22-3-07

たおやか

年度末を迎えて、いろいろな物が形になってきた。

会社にはいろいろな所から、それぞれのナンバーのトラックがやってくる。

スーツを着たり、袈裟を着たりしたいろいろな人がやってくる。

お茶をだしたり、さげたり。

タトウをつくったり、渋の裏打ちをしたり、四方開きをつくったり、写真撮影をしたり、そろそろ終わりなんだ。

肌上げももう終わって、あっという間に肌が入って、張り込みだ。

去年と違って、めくるめく日がちゃんと覚えられるようになった。

変な表現だけど、何をして良いか分からず、オタオタとしてシロクマのように行ったり来たりすることも、少なくなった。

そういうときにミスは起きるけれど・・・。

この前、絵の下描きを見つけた。今ある絵とは全く違う絵が下に描いてあった。犬のような狸のような、イタチのような、テンのような、カワウソのような、へんな絵だった。そういう時ってやっぱ楽しい。

あー、終わってしまうのか。

終わって欲しいけど。

来年度の目標は、たおやかな人になることだ。

堅くて強い物は壊れる。割れる。

稽古してもらってるお師匠もいう。

力に頼っちゃいけません。相手の力を利用するんです。相手と一緒になるんです。

物でも人でも。自分が気張っていたら、駄目なんだね。

柳に風、と言うわけでもないけれど・・・。

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17-3-07

不確定性原理

ひょんなことから、物理学者に会う機会があった。色々話を聴いて、時に尋ねてみたりした。

素粒子の研究をしていて、量子力学のことについて話をしてくれた。

nmという単位の小さな小さな世界の話だ。

水素原子を例にとって、陽子と電子の話だ。

もっとも単純で、原子番号が1番の原子だ。

そんな世界では何がどうなっているのか。

宇宙も、星々も、目の前にあるこのパソコンの画面と、この文字も、そして動物植物をはじめとして、生きとし生けるものも、みんなこうした原子で成り立っている。

それは確かな物なんだ。

小さい世界だけど、目に見える物なんだ。

だけど、その世界では、古典力学が通じないと考えられているみたいだ。

観測が出来ないというのもあるのだろう。

でも、空間や時間を超越した世界があるらしい。

宇宙の始まりの一兆分の一秒後までの歴史に、迫ることが出来た物理学も、手のひらに乗る空間よりももっと小さな世界が分からない。

しかし、自然もなにもかもが、こんな小さな世界の繋がりの中に存在しているのだ。

小さな世界の不思議が、大きな世界の日常に隠れているのだ。

すげぇな。

そんな小さな世界の不思議のことを不確定性原理というらしい。

そんとき、思った。

こんな小さな世界のことが、精神の複雑さや深さや、世界の優しさや汚さと美しさを作っているんじゃないかと思って、物理学楽しそうじゃん!って思った。

エックス線作業主任作業者の勉強していてよかったぁ!話がわかるもん。

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16-3-07

美しいという

金箔と銀箔を蒔いていて思ったことがあるのだけれど、眠くて書けそうにない。

だけど、美しいと思うことの一つの要因が、

不自然な自然と、

自然な不自然であると思った。

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10-3-07

楽しみ方は違うけれど

仕事が、そろそろ年度末だ。

振り返ってみても、同じ作業の繰り返しが何日も続く中で、毎日が更新され上書きされるような出来事を見つけ出すことが困難になって、正直にいうと辛いことの方が多かったように思う。

人と関わるでもなく、絵を見るでもなく、ずっと絵の穴を埋めている。

時間の流れ方もかなり停滞し、下流域の川の流れのように、一見止まっているかのように流れていた。

焦燥し、憔悴した。

落胆し、困惑した。

性格からか、失敗ばかりに目がいきがちで、これはどうにもならなかった。

だけども、何かが少しずつ変わっているような気がする。

何かは分からない。

人を見て焦るのはもうこりごりだ。

何時間働いたって、何分しか休まなかったって、見逃してはならない一瞬がきっとあるはずで、それを感じられれば、明日はきっと新しい日だろう。

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5-3-07

ほほ笑む

昨日は本当に良い天気で、外に出て行くときに何を着ていくか30分も思案するような日だった。

吉田山は多摩の横山みたいな雑木林の小高い丘で、去年の秋の暮れに落とした葉がまだまだ積もっており、柴犬を連れたおじさんが散歩していて、膝というものがあるならば、その高さまで柴犬は埋もれて枯れ葉の海を泳ぐように薄い苅安色が動いていて、そんなときにふと梢と梢が折り重なる間から見える左大文字山の向こうにそびえる季節はずれの入道雲のような雲と、飛行機雲が織りなす不思議な形に切り取られた空が、とても素敵だと思った。

頂上にある喫茶店は、二時間も待っている人もいるようで、楽しみにしていたのだけれど致し方ないので麓の京大前にある進々堂でレモネードとレモンスカッシュの違いが分からず、二つを頼んで飲み比べて夕方の涼しい風が吹き込むようになるまで、図工室にあるような黒く長い机に色々なものを広げ、椅子にもたれていた。

西の方の山にあっという間の一日を告げるように太陽が沈みそうになっていた。

それでも、鴨川沿いの東側の道は、少し湿度をもった風が吹いており、一日の終わりには申し分ないほどで、これからどうやって遊ぼうかと思い直すほどだった。

「もりた」は今年30周年を迎えた。

小さな小さな料理屋で、時にいい加減な会計で一喜一憂してしまう自分を窘めるにはもってこいの人生の教室のような気がする。三つほど花屋を廻ったわりに、お店に会うような花が見つからず、いろいろな助言をもらい、カラーという花にした。頭をもたげた様が素敵で、こんな花を見たことがなかったけれど、とても好きになった。

花屋の人が、男の人が色々花を選ぶのは珍しいですねと言っていたが、人に物を贈るときには熟慮するのは当然のことで、何も考えずに明るくとか派手にとか言うのは、不躾であると思うので性別は特に問題ではないとおもうのだ。

花屋のセンスは流石なもので、添えた花との高低や大きさの配置のバランスが見事で、手の中で茎を握りこれでいいですかと聴かれたときは、これでいいのかと戸惑ってしまったけど、リボンやテープや包装紙などで服を着せていく毎に、全容があきらかになっていき、それは本当に手慣れたものだった。

「もりた」の十余席の小さな椅子はほぼ完売状態で、電話していたためとって置かれた二席は本当に二席あるのかおもうくらい人と人の間に隠れており、すみませんすみませんと両隣の客に挨拶をし、やっとこ、大将におめでとうございますと言うことが出来た。

振舞酒を空きっ腹に流し込んだためか、いそがしくアテが登場しないためか、あっというまに酔いがまわり、陽気な気分になり、話に花が咲いた。

向こう側に座った家族連れの赤ん坊がだんだんたらい回しにされて、それでも不快に思わないのか中々の度胸で微笑ましい眠りに落ちていた。

その横では、東京から来た客が、大将と長い別れの挨拶を終え、また引き返してくるんじゃないのかと思うほど名残惜しそうに店を出て、おそらく21時の新幹線に乗るのだろう、時計を見るとあと20分ほどしかなくて、思わず心配になってしまった。

本当に、本当に、楽しくて、人の笑顔を肴に酒を飲むような、そんな雰囲気だったのだ。


左隣の客は、1月末に来たときに居た客で、相変わらず酔うと昔の歌謡曲を歌っており、連れと同じシックな赤いセーターが、湿度の高い地味な色合いの店の中で映えていた。

右隣の客は、熊本出身のおばちゃんで、「せからしかっ!」と言ったその一言でそれが分かってしまい、心の中で「そうたい!」と相の手いれ、出身を尋ねると正答だったのだ。

酔いが本当にまわり、店を出た後は、文字通りの千鳥足で、よくよく後から考えると帰り道はかなり遠回りをしており、閉店時間間近の三条大橋の袂にあるコーヒー屋ではコーヒーにもアルコールが入っていたのかと思うほど、酔い覚ましの薬効がまるでなく、三条駅から伏見稲荷駅までの間も寝ることはなかったけれど、楽しいことだらけだった。

この調子では間違いなく二日酔いになると、1%ほど残っていた理性でデイリーストアーで牛乳を買おうと心に決めたのだが、いざ牛乳を手に取りレジに立ったもののいくら呼べども店員が現れず、持ち去ってしまおうかと思ったが、1%の理性はそれを許さず、家に帰り着いたものの99%非理性がラーメンを食べる欲求をマックスまで増強し、どうやって作ったのか、豚骨ラーメンを拵えていた。

それから布団にはいったものの、酔いがまわっているときほど、眠りが浅い性分で、一時間おきに目を覚ます赤ん坊の如く、起きては大量の水分をとりまた睡魔に襲われるのだった。

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4-3-07

雀のオヤジ

今日の最高気温は20度らしい。昨日だって18度だったんだから、もうかなり暖かい。

春がきちゃったのかもしれない。窓を開けて寝てもなんともないのだ。
布団はいっぱいかぶっているけど、朝の空気が吸えて気持ちが良い。

家の前の竹林が騒がしい。鳥が増えたようだ。

カラスやオナガとか雀はよく見えるし、鳴き声もきこえるけど、最近やたら愛くるしくなく鳥がいる。

季節鳥か?

下のアホ犬がまだ吠えている。だれも躾けないんだろう。頭の悪そうな顔をしているから。

アホ犬をからかうように、雀のオヤジが電線に眠そうにとまっている。

電線の高さと同じ我が家は、雀の観察にはもってこいだ。電柱の鉄骨の小さな隙間を塒にしているようで、入ったり出たりするのをみたことがある。

冬じゃなくても、大きく太っていて、立派な雀だ。妾をかこっているのか、家族なのか、一夫多妻制なのか、小さな雀が何羽か寄り添っている。引っ越してきた当初からそこに住んでいたようなので、もういい歳なんじゃないかと思う。

あまりに恰幅がいいので、雀のオヤジと名付けてよく挨拶をしているのだ。

おやっさんは、カラスが隣の電柱でとまって大きくて黒い体を威勢良く轟かしていても、平然と電線にとまって何事もないかのようにしているのだ。

もう少ししたら、ツバメたちもこの電線にやってくるだろう。

猿が山から下りてきたら、近所がまた騒がしくなる。

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2-3-07

忙しい

「忙しい」と言うのが嫌いだ。

「疲れた」と言うのも嫌いだ。

言うほど、忙しくないし、疲れてもいない。

もっと疲れている人はいるし、忙しい人もいる。

疲れている顔をするのも好きじゃない。

なるべく、おなじテンションを維持したい。

自分の能力は超えているかもしれない。

だけど、そんなこと言ったら、もう何も出来なくなってしまうような気がする。

口に出したら、心の声だけじゃなくて、自分の耳にも本当に聞こえる。

それは時に良いことな時もあるんだけど、悪いことでもある。

だから言わないようにする。

だけど、そんなことを気が付いてくれて、疲れてるな、と言って貰えたりすると、素直に嬉しいと思う。

裏腹に「大丈夫です」と答えてしまう。素直じゃないなぁ。

でも、こんな時だからこそ、小さい時間が嬉しい。

本を読んでいる間は、どんな短くても心地よい時間だ。

通勤は30分ほどで、電車に乗っている間は7分だ。

でも、その7分が本当に好きなんだ。

24時間を分に直すと1440分。

そのうちのたった7分かもしれないけれど、東山から朝日が昇っていて、今日みたいな良い天気の日は太陽の光が、電車中に溢れている。本当に気持ちが良い。

聖跡桜ヶ丘から中河原にいくときのように、ほんとうに気持ちがいいんだ。

そんななかで、読めるページなんて10ページもない。

いまは、少々物語の長い本を読んでいる。まだ150ページくらいしか進んでいない。

まだあと二倍もあると思うと、少しずつ読んでいける楽しみがある。

言葉遣いや文章のレトリックを楽しみながら、時に読み返したり、良い時間だ。

焦らない、焦らない。

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