狛江のおじさん
いろいろな人のおかげで、大丈夫だと思う。
珈琲とお菓子ありがとう。
そんな心遣いで、頑張っていけそうです。
狛江のおじさん、安らかに。
いまごろ、どこにいるのだろう。
ひさしぶりに、ラジオで聴いた。
歯磨きをしながら。
夜に聴くくるりは、こんな時間に浸っていたくないのに、引きつけられてしまう。
悲しくもないのに、悲しい気分になる。
忙しさに、そういう気持ちが埋もれていて、ふわっと出てくるのだろうか。
やらなきゃいけない家事、書かなきゃいけない手紙、考えなきゃいけない仕事。
めくるめくうちに年末。
『考える人』の今季号に、アメリカのレストランの話が載っていた。
そのレストランは、近場で採れた物を、なるべくその日に提供するということも理念としたレストランだそうだ。
余った物は、マリネにしたり、隣のバーガーショップにわけたり(飲食店として競合関係にないのか心配)して、無駄のないようにしている。
食材も簡素なわけではないようで、コース料理を食べられるオーソドックスなスタイルのフロアと、アラカルトで食べられる気兼ねのしないフロアと、カフェとになっているようだ。(HPを見ると一階と二階に分けてあって、カフェでアラカルトっぽいな。)
素朴っぽさもなく、華美すぎずという感じだろうか。ナチュラルという形容詞がついて紹介されるカフェって、穏やかすぎて高揚感がないところ多いからなぁ。
はやりのというと語弊があるかもしれないが、ここが抜きん出ているのは、それを超えた食育+αを取り入れたところだそうだ。
地域の公立学校のカリキュラムに、レシピを参考にしながら収穫し料理するというプログラムが組まれているらしい。食物を育てたりする中で、生物と環境の関わりを学んだり、レシピから道具を使って色々な物を量る方法を学んだりするそうだ。メキシコとアメリカの料理の違いを教える先生がいたり、生ゴミが腐敗し肥料となる仕組みを科学の先生が教えたりするそうだ。いろいろな専門がある先生がレストランとともに、子どもを育てている。
こんなことを文章の最後でこう表現していた。
「地育」。
地域を育てる、地域と育つ。その詳細は分からないけど、大人と子どもが学校という場を超えて、レストラン関わりながら食べ物を通じて学んでいくって楽しいねぇ。
算数がだめだったけど技術家庭科の成績がよかった自分としては、こういう学び方をしたら算数もできるようになったかもと思ったのでした。
酒場やカフェや喫茶店など何かご飯と関連のある場所が、人との繋がりを生み出す場であるのは有史以来なのだ。政治家も料亭で会合を開くし。
分かっていたけど、こりゃ楽しそうだ。
ちなみにこのレストランは…。その筋じゃ、凄い有名だってことに後から気が付きました。わひゃー。
だいぶ途切れてしまった。
いろいろなことがあるたびに、言葉にすると整理できるかもしれないと考えていたが、実際のところDPEに写真を現像に出すように、簡単にはいかなかった。
特別悲しいことや辛いことがあったわけじゃなくて、うまく説明できないことが多すぎるような常に新しい毎日だったのだ。
それはとても、良くも悪くも自分らしいと思う日々。
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この前、アン・リンドバーグの『翼よ、北に』を読んだ。
大西洋を飛行機で渡ったリンドバーグのお嫁さんであるアン。無線機の使い方を覚え、ニューヨークから北回りで、ハドソン湾-アラスカ-アリューシャン-千島列島-根室-霞ヶ浦-大阪-中国と、お婿さんのリンドバーグとの長い二人旅。
飛行艇の無線技師として、女性として、妻として、母として、いろいろな面が見られるけど、アンという女性がとても素敵に感じられた。
「さようなら」、それは素敵な言葉であった、と彼女は記す。
彼女の日本語に対する感性から生まれる言葉が、言いようのない多幸感を与える。
「God bless you」「God(Good)-bye」「Thank you」に見られる、神の恩寵を祈る別れの言葉もいい。
猛々しく、進軍ラッパの響き渡る、ファンファーレを背中に受けたような、輝かしい未来をが祈念され勇気に満ち溢れる別れがそこには見られる。
「左様なら」
引き留めないわけではない、祈らないわけではない、悲しくないわけではない、別れたいわけではない、言いたいわけではない、ただそのことがそのようであるのならば。
出会いや別れを超越したような、人と人、人と何かの関係。
清々しい霧のような言葉だ、と自分は改めて思う。
つながるというのは、嬉しいもの。
何かに発展していく楽しさが含まれている。
わくわくする。
鶴見俊輔に感謝しないと。
クロポトキンからサパティスタまでがこんな風に繋がるとは!!
誰かと思想史について話し合いたい気分。
最近、英語の勉強を再開しました。
だけども、忘れている単語が文字通り山のようにあって、課題としたペーパーバックの一段落を読むのに、なんと時間がかかることか…。
Gustaveという友達に、「You can do it!」と励まされながら、仕事が終わって家事をして家でイライラしながらやっています。
だけど、こういう基礎的な勉強って本当に辛いけれど楽しいのです。
毎日発見があります。
喜怒哀楽が激しくなりそうです。一文分かってはニヤニヤ。一文分からなくてはイライラ。
英語が熟達しなくてもいいから、これは続けたいです。
勉強はいつまでたっても終わらないです。
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