3-2-07

パスタ対決

今度結婚する(?)、先輩(友達?)の彼女の話を聴いた。

初めて人と会う時、どれだけ同じことを感じたり、考えたり出来ることって、とても大切だと思う。

音楽や本や人生観とか。

先輩とはそういう点で凄く、シンパシーを得られる。なんとなく、性格まで似ている気がする。

先輩は聴いたそうだ。

「音楽とかってなにきくの?」

音楽って個人的にはかなり重要なので、気になる所だ。もし・・・モー娘。とかEXILEとか槇原敬之とかORANGE RANGEとか答えられたら、もうどうしようもない。話が合わないし、どうしていいかわからない。

先輩の彼女はこう答えた。


「男なら、、、、さだまさし。」


「女なら、、、、加藤登紀子。」


百点満点です。


もう、僕は先輩の彼女を好きに成らずにいられなかった。


こんど、Mさんとのパスタ対決に僕も混ぜて下さい。オリジナルトマトソースをもって参戦します。

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20-12-06

居酒屋の息子

 山形の話をこれで最後にしたいと思う。

 山形県という範囲や、山形県民という抽象的な枠組みがよかった、というつもりは毛頭ない。

 ただ、そこで出会った人や場所がそういうものや名称に、仕方なく括られていると考えている。そこを山形と呼ぶしか良く分かる方法が無いから。だけども、場所はともかく、そこで出会ったもっと流動的なものは、きっとどこで出会ってもきっと同じように、いい出会いだったと思う。

 山形市は夕方から雨が降っていた。とても強い雨だった。夏の終わりの最後の一絞り。

出産を控えた友人に羽黒山で買ったお守りを中央郵便局から送り、道草によりコーヒーを飲みながらマスターと話して、山形駅から酒田へ向かう列車を待った。

 余談となるが、S本はあれからよく道草に通うようになったらしい。山形で知り合いのいない彼に、だいぶ歳は離れた友達とまではいかないかもしれないが、『星の王子様』で言えば「なじみ」が出来た。休みの日は本屋の帰りに、買った本を持って道草でコーヒーを飲むそうだ。なんだか、そういうのがとても羨ましくて仕方がない。

 山形を発つ頃もまだ雨が降っていた。半そでしか着ていなかったため、寒くて仕方が無かった。ザックを抱いて音楽聴いて眠ったら、ある駅で長い停車時間があった。乗り換える駅を降り過したと思って焦ったが、まだまだ山形市を出て将棋の駒の生産で有名な近くの町だった。

 最上川は暗闇で雄大な姿を見せず、物思いふけるうちに酒田に着いてしまった。

 酒田の駅はあいかわらずしんとしていて、眠そうな駅員とやんちゃそうな高校生しかいなかった。

 京都へ向かう寝台特急が出る時間には、一息つくには有り余るほどの時間があった。そんな折、薄汚れた旅行者に、雨は気前良く止んでくれた。

 腹が減ったが所持金が二千円しかない。もとより酒田駅の近くには食べる店もない。あるのはちょっと勇気のいるスナックとコンビニだけだった。

 ビールが飲みたかった。酒田を去る前に、自分でいろいろと思い出したくて、ビールが飲みたかった。

 何かの時のために五百円を残して、千五百円でメニューが外に出ている居酒屋に入った。今回は明朗会計がぜひとも望ましかったからだ。明朗会計至上主義。

 この金で飲めるものを・・・と考えるのは二年前まで当たり前だったのに、遠い昔のようだ。

 大瓶と肴を頼んだ。客はたった、この一人だった。

 居酒屋は女将と何番目かの息子がやっているようだった。女将は明るい人で、旅行者に優しかった。色々と身の上の話をするうちに、長男が遠くに仕事に行っていることを教えてくれた。東京から京都に出て行ったことを、いろいろと大変だろうと言ってくれた。女将の長男と重なったようだ。

 長男は料理人として、大学を出てすぐにヨーロッパに渡ったそうだ。いろいろな国を渡り歩いたらしい、いまはイギリス、いやフランスだったかにいるそうだ。もう十年以上も向こうに行ったきりだそうだ。

 
 「酒田の街は、昔はそりゃ活気があって、立派な街だったんだよ。今じゃ名古屋のIT関係の工場に勤めるもんが多いんだよ。酒田にはエプソンの工場だってあるが、もっと仕事のある都会に出て行くんだ。若いもんが減ったよ。家族を呼んで向こうで暮らす人も出てきた。昔なじみが少なくなって、余計に・・・。」

 「息子さんはどうされるんですか?」

 「今度結婚するですよ。結婚しても向こうだよ。」

 おめでとうございますが、素直に言えない。女将さんの叩く電卓の音と、ラジオの天気予報、カウンターの向こうで洗い物をする音が響く。

明日は晴れだそうだ。


 
 「でもさ、結婚式は酒田でやるんだよ。」

 結婚式は酒田で挙げる。きっといろいろな人がお祝いに来てくれるんだろう。短い故郷での滞在らしいが、きっと楽しいことになるに違いない。いろんな人におめでとうと言われて、酒を飲んで飯を食って、これ以上に幸福なことがあるんだろうか。

 女将さんは嬉しそうに言う。

 「結婚式の御礼の品を何にしようか考えてるんだけどね。息子とも相談したんだけど、決まらなくてさ。」

 言ってる端から、口元が緩んでいる。忙しいって電卓を叩きながら話し相手になってくれた女将さん。本当に嬉しそうだった。

 結婚式は一週間後、息子さんも三日後に帰ってくるそうだ。

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15-10-06

階段の山

 羽黒山を後にした我らは、その汗を流すべく近くの温泉に立ち寄り、個人的な希望で無茶をいい、新庄経由で山形市へ帰ってきた。夕方のいい時間帯になっており、帰りの車のヘッドライトが数珠繋ぎになっていた。その後、スーパーで食べたいもの飲みたいものを気の向くままに仕入れ、山形牛を焼くだけというシンプルな宴で夜が更けた。羽黒山の写真を眺めては大笑いし、次は月山だと言って呆れられた。

 夜が静かだったように、朝もゆっくりと訪れた。最後の日だと言うのに焦りもせず穏やかで居られたのは、きっとここにまた来るだろうと言う形の無いものの、しっかりとした希望があったからだと思う。

 昨夜のビールで少し重い頭をヘッドレストに預けて山寺への道を発った。

 芋煮会のある川を越えていくらか走ると、ここも道が「赤い」。豪雪地帯によくある融雪用の噴水は、センターラインに取り付けられているが、過去に多くのところで地下水を汲み上げていたようで地中の成分がアスファルトに付着して赤く見えるそうだ。赤い道は往々にして轍が出来ている。冬場を除くと走りにくいこの道は、雪の時期になると轍がレールのようになるらしく、重宝するようであまり新しく打設しないそうだ。

 山寺に近づいてきた。

「山寺って、山の寺なんだよね。道どうなの?」

「階段だよ。」

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灯篭に傘がついてら、ハハン。

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マタ、かいだんデスカ・・・。

 猫背になって上を見上げると、何回もスイッチバックして階段が続いている。勾配は明らかに羽黒山よりある。

「昨日みたいに長くないから大丈夫だよ。」

「ホントウですな?」

 どこかの大学の学生が石碑を調査している。若い人よりも中高年の方々の数のほうが多い。羽黒山と違って、木陰が少なく直射日光が体力を奪う。Fのフィルムを装填しながら、パトローネって絶対に光がはいらないんだよな、と思った。不思議。

 道端には卒塔婆というべきか、不思議な柱が岩壁にもたれる様においてあった。柱の上部には輪というか丸い形の車輪のようなものが取り付けられており、実際にそれが動くのだ。チベットで、お経を読んだことになるアレみたいだ。名前を失念・・・。
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 二人とも昨日の疲れか、飲みすぎたビールのせいか頂上を目指し黙々と歩くのみになる。日差しも強く水も無くなり、頬を伝って汗が唇に触れる。

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 木が少なくなり、いくつものお堂が見えるようになると頂上が近くなった証拠だ。信仰のハイライトはもっとも奥に座する建物だろうが、観光のハイライトは小さなあの舞台。

 またもや狭い階段を上ると、岩からせり出すようにこじんまりとした天井の低い舞台があった。川を挟んで向かいの山々と目の高さが同じになれる場所だ。風が通り抜ける。
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欄干のそばで腰を下ろしてお弁当を開いている人や、遠くを眺める人、眼下に目を凝らす人、建物のつくりに目を瞠る人、それぞれがそれぞれで面白かった。もちろん眺めは言葉を失わせる力が充分にあったし、そらもこの上なく素晴らしかった。

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1-10-06

羽黒山古道下り

蕎麦を食べて、また境内をうろつく。M池に言われていた、四本柱の施設を探すためだ。しかし、なかなか見つからない。そもそも神社の境内に、墓地を見つけるのが困難だ。

と、そんなときに。

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これでどうですかM池さん。コメントしといてね。使えない資料だと思うけど、これしかなかったのだ。

参拝を終えたS本が。

「頂上から下に下りるバスがあるらしいですよ!」

人に言っていても疲れていたな、おぬし。

「えー。本数すくないんじゃん?」

「見てきますよ!」

必死だな、オイ・・・。

「よくわかりません・・・。」

「まじかよ。俺が見てくるわ。・・・・・・あと一時間後じゃねぇかよ!歩いておりよう。」

「まじすか・・・・。」

そんなわけで、帰りもあの古道を行くことになった。登りは二時間弱だったので、大幅に短縮されるだろうことはわかっていたが、あの勾配を下りるのは大きな恐怖を伴う。

また下を見ながら歩いていると。

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猪口と徳利だ。無類の酒好きらしい。

さらに

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今度は蓮の花と思われる。いままで見てきたものより大振りで掘りも深い。

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本当に、本当に酒が好きなんだな。サワーがジュースよりも安いこの時代を、さぞ恨めしく思っているだろう。

最後に見つけたのが、これだ。

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修験者のようだ。絵が現代的。

車での登坂より、足で歩くことを薦めます。

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羽黒山古道上り

大きな鳥居が車道をまたいでいる。S本の運転するヴィッツは、あっという間に鳥居をくぐって、羽黒山の境界内に入った。

ずっと田んぼだった周囲の風景が、この神域に集まる人を世話する店や宿が集まる町に変わっていった。しかし人影はまばらで、車の数も少ない。ちょうどお昼時だったからだろうか、気温も上がっていた。

標高は400m台で東京の高尾山よりも低い。というのが、そもそもの過ちであり、文字通りの過信だった。

S本「O松さん。頂上まで車でいけるらしいっすよ。」(彼は丁寧語を良く使う。)

O松「えぇ~、だって高尾山より低いじゃん。登ろうよ。それに古い道があるらしいよ。」

S本「そうしますかぁ。」

こうして始まってしまった。門での記念撮影を終え、そこをくぐると意気込みは肩透かしをくらい、いきなり道は下り坂となった。樹齢が千年もこえるという大きな杉の並木、いや森というべきか、が両側から、昔からそうであったように迎いいれてくれた。湿度があるながらも、すこしひんやりしていて、ところどころの木漏れ日が美しく山歩きには絶好の条件だった。

       

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少し湿った石段を下っていくと、素木のそれほど大きくない社がいくつか鎮座していた。仰々しさのない材の質感が山の雰囲気を崩さずに優しかった。

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また歩き出すと、立派な五重塔が建てられていた。ずっとそこにいたんだろう。謙虚に山を侵さずに座る、周囲の千年杉より背の低い五重塔は、神と仏の関係を見ているようだった。

いくつか平坦な石畳の道をゆくと、見上げるような階段があった。先が木立に隠れて見えない。上から振り返るとそのまま落ちてしまいそうな勾配だった。下を歩いて登っていくうちに、面白いものを見つけた。

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落書き、いや落彫りか。天狗さん。

この石を運んだ人、あるいは石を切り出した人の、もしくは道中の不届き者のものだろうか。

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これは、猪口と徳利だろうか。酒が飲みたいのを我慢したのか。

中腹の茶屋の傍で庄内平野を見渡しながら、向こうは三瀬の海があるのだな、と思い起こしながら再び気持ちのいい汗をかきながら階段を上る。

小さな子どもも、健脚のばあちゃんも登っているというのに、足が重くなってきた。元来、長距離走と近現代史には自信のあるS本は、そんなことをお構いもなしにさっさと何段も先を行く。

「Sっ!速いぃ~。旅は周りを見ながら楽しんでいくもんだぞ!」

正論のような言い訳をしながらも、周りが見る余裕がなくなってきた。あいかわらずS本は元気だ。

このあたりからカメラを構える気力がうせて来て、記録の写真も無くなり、S本との会話も少なくなる。いかんいかんと思って、

「なぁ、これを作った人はさ、なんで作ったのかな?」と聞いてみた。

S本「やっぱ、いろいろ生活が大変だったし、娯楽がなかったんじゃん。」

妙に納得。

頂上の鳥居が見える頃には水がなくなり吐く息で口内が乾きだした。手水の水を手で失敬し、飲み干す。

「手水の水ってさ、たまにサルモネラ菌とかいるらしいよ。ま、ここは山だから大丈夫かな。」

S本はポンプ屋だ。早く言え・・・。

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子どもは元気だ。右足に包帯を巻いているというのに。本当にあの石段を上ってきたのだろうか。

頂上は出羽三山神社の本殿がある。出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山だ。ここで参れば三山を拝したことになるのだろうか。しかし、参るとか参ら無いとか言う前に、滝のように流れる汗と、水を欲する渇望には勝てるわけも無く、鐘のしたで休んでいた。

友人の出産に備え、安産の守り購入した。信心深い人間だとは自分で思わないが、祈るのと祈らんとでは大きな違いなので、やはり出羽の神に武蔵の人間の安寧を祈った。

境内をうろうろすると水子地蔵に出会った。これも何かの縁にちがいないだろう。

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子を授かったことがないが、親を失うより大きな悲しみに潰されてしまうんじゃないだろうかと思い、立ち止まった。親も子も、生まれてきた年が違うが、生まれた瞬間から死ぬということは何よりも確実なもの、200%保証された唯一の出来事だ。しかし、その悲しみは、親や年長者の死よりも諦めきれない悔しさや憤りなど色々な感情が混じっているのではないだろうか。そんな人の想いがこの地蔵に集約されているような気がした。

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かざぐるまは回り続けていた。

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木のある森

昨夜は、S本宅についたあとにカップラーメンを食べて、食べたらS本が客人のために用意してくれた布団で、何故かS本が寝て、床にタオルを敷いて寝た。

起きたら背中が痛かった(そりゃそうだ)。しかし、人の家に泊まるのは久しぶりだったので、なんだか大学の時のようで楽しかった。昨日までの二日間にTVを一度も見る機会が無く、テレビをつけると天気予報が東北に来ていることを実感させた。S本は、週末しか機会が無いんだと言って洗濯物を干していた。窓から入る風が冷たいのに、いい天気だから秋である。朝飯は三瀬のホステルで頂いたパン。何もつけずに、コーヒーと頂く。それだけでも美味しいのだ。

出かけようとアパートの階段を下りると、大量のマッチ棒が散乱している。昨日のことを思い出してみると、この犯人はどうも、この京都からきた奴である。近くのコンビニに行く途中、道草のマッチをばら撒いて、そのままにしていたようだ。


山形駅前で借りたレンタカーで、出羽三山に向かう。

車は少ないし、空は穏やかでドライブ日和だ。山形市周辺は盆地になっていた。京都ほど小さな盆地ではないが、周囲を高い山で囲まれている。遠くに見える月山もその一つだ。月山。名前がいい。


その月山を越えて、日本海側に走る。鶴岡方面を目指していたので、ホステルのあった三瀬もそう遠くないところにまできていた。


鶴岡と山形を結ぶ古道は、六十里越街道と呼ばれている。千年も昔から、いろいろな人が歩いた道だ。修験者だけでなく、軍馬軍人、行商の人、紅花や葉タバコをこの道を使って運んだそうだ。偶然なことに山形へ来る、まったくその日に京都駅の0番ホームで日経新聞の夕刊を買ったら、この記事が出ていて、せめて近くまで行きたいと思っていた。

山は、森だった。

日本の山の四割は杉などが植えられた山である。有効利用の方法が見出せない中、山は人の手が入らないために、荒れているのだ。

高速道路といっても車が居ないので、一般道並みの40km/hで走るS本の超安全運転は、ゆっくりと山を見せてくれた。もこもこと苔の表面のように、いろいろな木が生えている。落葉樹や広葉樹だ。長い冬の後の新緑が眩しくて、夏の黒い緑が豊かで、秋の輝くような暖色が眩しい団栗が拾えたり出来る山だろう。本当に森だった。さまざまな種類の木が生きている、まさに森。歩いたらさぞ気持ちがいいだろう。


目指すのはM池に薦められた羽黒山だ。ちょうどS本も行ったことが無いと言うので、ゆっくりと車を走らせた。最近の音楽を良く知らない我ら二人は選曲がおかしい。

大合唱したのは、高校の校歌だ。山形までこのCDを持ってくるとは・・・。と言われたが、久々に歌いたかったのだ。歌詞も好きなんだけど、全国の校歌の中でもこんなに歌いにくい校歌は珍しいのではないだろうか。



むらさきのにほいし丘辺
ここ武蔵野
永き文化の血をうけて
今こそ時よ、この国の蝶よ
飛べおほむらさき

雲とざし風さやぎ
心破れ身屈すとも
語れその惑いを
求めよ友を
友あり近きにあり
今こそ時よ、この国の蝶よ
飛べおほむらさき

校歌とは思えない、この大らかさ。「学べ」「理想」「若人」「学びや」「信念」「正義の~」「ああ我が母校」いう定番単語がなくて、「友達を大事にしなさい」「なんかあったら友達と語りなさい」である。オオムラサキのように立派な蝶になりたいものだ。

話がそれましたが、「飛べぇ!おぉむらさぁきぃ!」とか田舎で叫んでいたら、あぁあの兄ちゃん達涼しくなっていきて虫採りにいくんか?と思われてしまう馬鹿なことをしていたのだ。

そうこうするうちに、羽黒山の近くまで来た。

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28-9-06

珈琲と音楽、そこは花笠通り、道草。

山形駅へ向かう列車は冷えていた。寒くて小さくなった。寄りかかるところがあれば幸いだったが、通勤用の車両でローカル線とはちょっと違う。ボックス席が無いために、うとうとすると左にゆらり右にゆらり、口もあいてだらしが無い。しかし寒くて眠いのだ。

新庄で乗り換え、南へ一時間強。山形駅だ。電車はあっという間に空間を越えてしまったようだ。ビルの明かりが眩しい。三瀬では見られなかった光と喧騒。都会もそうでないところも両方が、両方の良さを持っている。決してどちらかに偏ることは無いだろう。それは東京生まれ故かもしれない。

旅行をするときに、中央郵便局は欠かせない便利なところだ。夜間の窓口があるから、葉書を出すために記念切手を買えるし、重量が分からない時、定形外の時、ちゃんとした切手を貼ることが出来る。

山形の中央郵便局は駅前から大通りをまっすぐに行き、花笠通りを左に折れて少しのところにある。しかし、よく考えたら、東京におくるこの荷物の宛名を書いてないし、手紙も添えてなかった。

と、そこに。

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「珈琲と音楽」

あやしげない雰囲気だ。看板が素敵で楽しそうだ。よくみると客もマスターも居ない。これは入ってやろう。

ドアを開けると、カランと鈴がなる。ちょっと明るいけれど、雰囲気はいいところだった。マスターが奥から出てきた。荷物が大きかったのでテーブル席に座らせてもらった。S本の仕事があがるのを待ってもいいな。そう思った。ブレンドを頼みかけたけど、ビールにした。手紙を書くために、土門拳記念館で買った大量の葉書をテーブルに並べてみる。悩む。どれもいいのだ。

その店は、カウンターに座ると、壁に飾られた沢山のソーサーとカップをみることができる。どのカップも似たようなものは無く、有田のものや九谷のものや瀬戸のものもある。LPが壁にかけてある。ボブ・ディラン、ビートルズ、よしだたくろう、ジョン・コルトレーン、ナットキング・コール・・・。話があうな・・・ニヤリ。

ゆっくり手紙を書いた。マスターに荷物を置かせてもらって、中央郵便局へ走った。

帰ってくると、音楽が変わっていた。やるなぁ。

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たぶん、吉祥寺生まれの鹿だと思う。


席をカウンターに移動する。ブレンドを頼む。話好きな人だった。山形、とくに市内の話をよく教えてくれた。コーヒーの豆のこと最近の県政のこと、いろいろだ。話が弾んでついつい長居した。友達と会うんだったら、あそこの焼き鳥屋がうまい。ここのスナックがいい。いろいろ教えてくれた。ついには、俺のボトル飲んでいいから、あそこの店に行ったらいい、とまで言ってくれた。ありがたいね。

ついには電話までして。

「いまからうちのお客さんがいくから。よろしくね。」

S本がそのだいぶ前に来て、久しぶりの再会を果たしたが、酒より先にコーヒーを飲んでもう夜の九時近くになってしまった。閉店までいたことになる。なのに、この間一人の客も来なかった。大丈夫だろうか。S本との再会はかなり喜ばしいことなのに、それ以上に面白い店を見つけて三人で笑いまくっていた。

「またくるわっ。」

そういい残して、言われた焼き鳥屋に行き、言われたバーに行ってボトルを頂戴して、ママさんにマスターの話をして、ママさんのピアノとヴォーカルに酔いしれて日付を跨いだ。

ママさんにもマスターにも子どもがいない。いたらこれくらいになるのかと言われ、かわいがって貰った。ママさんは、「中央フリーウェイ」を歌ってくれた。調布が故郷の、二人にと歌ってくれたのだ。楽しげな荒井由美の曲に、しんみりしてしまった。東京から地方に出た、同窓生はこの二人だけなのだ。

「右に見える競馬場、左はビール工場、黄昏がフロントグラスを染めて広がる、中央フリーウェイ」

帰りのタクシーの窓に反射したネオンの光は、なんとなく・・・。よく分からないけれど、なんとなく寂しげだった。

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24-9-06

山形をPRしよう

酒田の駅を二両編成のワンマンカーが発った。

ホステルでであった埼玉の鉄道好きの大学生が「海側に座るといいですよ」と教えてくれた。その通り座ってみたが、海は見えず田んぼの海が広がっていた。ここを「いなほ」という名の特急が通る理由がわかる。と、いったのはS本だ。ただの鉄道オタクではない。「いなほ」は米どころの新潟から秋田までを、黄金色の米どころを、繋ぐ。


酒田で無料観光用自転車を借りる。すごくありがたい。そして、当然のようにママチャリである。ママチャリはゆらゆら走れるから好きだ。車どおりの少ない酒田の路地を蛇行しながら、この旅の目的地である土門拳記念館に向かう。酒田の大きな高校の傍を通り、小さな川を越え、迷った。地図を見ていたのに、いつから方向音痴に?

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酒田駅の大きな獅子舞。

最上川。

迷った挙句に、渡りたかった橋からかなり離れた最上川の土手に出た。雄大な河だった。川幅はどれくらいあるのだろう。向こう側丘陵地になっているため、どこまでが河なのか。故郷の川を思い出した。それ以上だ。

土手を走りながら大声を出した。楽しい。河原では大ゲートボール大会が催されている。プレイヤーの数が半端ではない。目をつぶりながらでも走れるくらい何も無い土手だった。目をつぶった。

土手から落ちた。

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大型トラックの巻き起こす風に煽られながら橋を渡る。左に曲がれば記念館だ。大学のキャンパスと並んでの立地のため、酒田の街に比べて新しく整然としていた。静かだった。

十二時の少し手前だったが、お腹がすくといけないので駐車場にあった小さな蕎麦屋へ。草刈りのおっちゃんたちに混ざって、田舎蕎麦を頼む。

勘定の時に嫌な予感がした。一万円しかない。的中。お釣りがない。

「土門さんとこはいった?」

「いえ、これからです。」

「じゃぁ後でいいよ。」

「ありがとう。」

坂田の言葉の音が好きだ。イントネーションというのだろうか。このおばちゃん特有のものだろうか。大きな木が風でゆったり揺れるような優しい音だ。

土門拳。子供の時から見てきた唯一の写真家。構図、距離感、発想。敬服して止まないぎょろ目のおっさんだ。

展示の中心は『室生寺』が中心だった。本物以上に本物である。これはおばちゃんの受け売り。「おれぁ、よぐ分かんないけどぉ、仏さんが本当にいるかと思ったよぉ。土門さんはすごいねぇ。」

写真とは、真を写すべきだ。本物以上に本物で無ければならない。


彼の考えは、駐車場のおばちゃんが代弁している。

気がついたらもう三時だった。物販で小銭を作る。おばちゃんとこに帰らなきゃ。

「あぁ~、おかえりなさい。どうだった?」

「すげぇよ。来て良かったよ。」

「ありがと。ありがと。」

感謝されてしまった。

おやつがわりにビールをあけて蕎麦を頼む。おばちゃんとの話がまた咲いた。おばちゃんはこの近所の人だ。獅子舞の話を聞いたり、ブドウの成り具合を聞いたりした。今年の出来はいいそうだ。獅子舞や歌舞伎の舞手である子どもが少なくなってきているそうだ。祭りのときの舞は大人が男の子に教え、舞うものだ。その男の子が、少なくなっているのだ。おばちゃんのとこではその様な状況で、他のところでは女の子も舞うところもあるそうだ。働き盛りの大人は外に出ていってしまう。地域に雇用がないのだ。

おばちゃんは言う。

「山形はPR不足なんだよぉ。」

「山形は、米も野菜も魚も肉も果物も美味しい。だけどPR不足なんだよぉ。」

「そうかもしれないね。山も河も、こんなに綺麗なのに。」

確かに新潟を南に、秋田を北に。コシヒカリとあきたこまちという強大なライバルと比べ、はえぬき・どまんなかは知名度が低い。味は勝るとも決して劣らないのに何故か?


おばちゃんと楽しく小一時間話して、山形市に向かうために酒田駅に戻ることにした。途中山居倉庫に寄ったら、傍の神社でちょっとした出し物があった。

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小唄と三味線の音色が晴れ渡った午後の空にゆったり流れる。こんなときは酒なんていらない。水でいいのだ。わらわらと近所の人が集まってきた。入りたての舞妓が仮設の舞台で舞う。男の子はじっとしていられずに、芝生で取っ組み合いを始めた。女の子は呆れたようにみていた。

山形へはバスで行くのが一般的らしいが、最上川をみたかったので、電車で余目駅を経由していくことにした。最上川にそって小さな電車が走る。傍には最上川。切り立った山のすぐ下を濁った水が滔滔と流れてゆく。

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夏と秋の間だけど、秋に近い。


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21-9-06

さんぜ’’’の海

案内役氏と、オニヤンマを観察した後は、窓辺で宵っ張り(?)のフクロウの子どもを見ていた。

どうも、このフクロウは雛のときにカラスにやられ巣から落ち、人の手によって育てられたそうで、すこし大きくなった今でも、人家の近くにとまっては「ギャーギャー」と、フクロウらしくない鳴き方で、昼も起きているのだ。

フクちゃんと呼ばれ親しまれているこの鳥は、案内役氏もたいそうお気に入りの様子。ウクちゃん、ウクちゃんと、こっちもまだまだ「らしくない」呼びかけをしている。ずいぶんと長い間をそうして過していたら、案内役氏、そろそろ出勤の様子。かあちゃんに着替えるようせがまれる。フクちゃんをまだ見ていると駄々をこねていたが、保育園の先生の名前が出たとたん、この二歳児、すっと立ち上がりいそいそと着替えに行ってしまった。恋かっ!?ニヤリ。

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こっちも、ゆっくりと支度をする。十時の電車に乗り遅れたら、次は十一時をだいぶ回ってからなので、おちおちしていられない。

会員でもないのに、会員価格にしてくださった奥さんとご主人にお礼をしなければならないが、持っているのは飛島のあらめと、京都土産の安い煎茶だった。S本への土産だったけど、それ以上のものをホステルから頂いたので安いお茶だったけど、置いてきた。S本、すまん。彼は一週間後の三連休、京都に遊びに来たのでちゃんとした土産を渡すことが出来た。

藁しべ長者さながら、あんなお茶が、あっという間に国産有機麦の自家製パンに変身してしまった。ホステルの旦那さんが、お茶のお礼にとくれたのだ。他にも採れたの梨も頂いてザックは許容量の25リットルを大幅に超えてしまった。道中の糧とする。嬉しくて仕方なかった。

ホステルに別れを告げた後、気持ちの良い青空の下を、どこまで続いていそうな谷戸田を両手に、駅まで歩いていった。雲は、昨日も今日も気まぐれに浮かんでいる。

と、そこに大きな荷物を載せた白い軽トラが横を通り過ぎて止まった。ホステルのご主人だ。

「電車の時間は何時なの?」

「10時4分です。」

「じゃぁ、まだ時間はあるね。海には行った?」

「残念ながら、まだ見てないのです。」

「それじゃぁ行かなきゃね。」

軽トラの助手席に飛び乗って、子犬のワルツさながら軽快なスピードで三瀬の町を尻目に山手に登っていった。舗装された道は、すぐに砂利道になり山の中腹の眺めの良い、開けたところで止まった。斜面のガードレールを埋め尽くしたまだまだ生命力の強い夏草は、吹き上げる海風に負けず小さな花を冠し、触れると切れそうな強靭な葉を支えていた。

三瀬の小さな浜が見えた。ホステルの旦那さんは、誇りを持って言う。

テトラポッドのない、これだけ綺麗な浜は三瀬だけなのだと。天気のいい日は夜になると、妖しげに青白く光る夜光虫が見られるのだと。

話がこの先だったのか、この後だったのか良く覚えていないが、三瀬という土地の由来を聞いた。土地の名は『よ義経記』に、まず確認されるという。そして、そのころは「三世」と書いたそうだ。

「三世」、つまり前世・現世・来世なのだ。過去・現在・未来。それが土地の名なのだ。

夏草と千切れ雲とは対照的に、海風は少し冷たかったが、不思議な感慨を覚えた。どこまででも行けそうな海の見えるこの小高い土地に立って後ろを振り向くと、それほど高くない山がやさしい曲線を描いて、収穫を待つばかりの田を風が走っていた。

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20-9-06

音楽

 暗い。

 暗い。

 Cry,baby,cry.

 どこまで行っても暗い。道に迷った。

 三瀬の駅に着いたら、人に聞こう。そうしたら分かるだろうと、たかをくくって酒田を出た。無人の駅舎は、学生を迎えに来た人でいっぱいだ。ロータリーも車だらけ。

だけどあっという間に、エンジンの音が聞こえなくなって、一人残されてしまった。ホステルまでの道のりは、地図を失ったことによって、見当もつかなくなった。うろ覚えのまま、駅を出て、右に。

街灯がともる間隔が小さくなる。虫の音しかきえなくなる。犬が吼えた。小さい犬特有の、高く短い鳴き声。あっというまに闇に吸い込まれた。人家が消えて、山道になる。左に曲がる道。

街頭の光が届かなくなる、その境界に立った。自分の手が見えない。星も月も厚い雲が隠している。

こんな暗闇は久しぶりだ。小さい頃、夏休みは祖父が働いていた伊豆大川にいくのが慣わしだった。ガードレールのないくらい道を祖母と歩いたことを思い出した。ガードレールの下は川だった。不気味だったことを思い出した。

これは、違う道だ。その暗闇を歩いて、ちょっと興奮したけど冷静にそう考えた。

だけど、どうしようもない。

寂しくなって東京に居る弟に電話した。でない。

国分寺に居るはずのタイラに電話した。でない。

つくばのパルイケに電話した。でない。

やばい。これは久しぶりにやばい。

光に集まる夏の蟲のように、当てなどなく歩いた。ついたら小学校、デイケアセンター、自動販売機。

ホステルの電話番号もわからない。人も居ない。

携帯があるじゃん・・・。ネットで調べればいいじゃん。

あっけなく、電話番号判明。駅を出て、左右左右でつくらしい。出だしから間違っていた。街灯が嬉しい。旅館を右に曲がり、赤い橋を渡って左に曲がって、山の中腹に橙色の光が見えた。木々で隠されているが、優しく光っている。


ホステルは、対称じゃない菱形をしていて、入り口が狭いが、中に入ると天井がだんだんと高くなり、床が一段下がることによって、それを強調していた。正面には暖炉と天井まで続く煙突があり、大きな窓が二階までのびている。冬はさぞ寒いだろう。また、柱が無く、壁で支える、箱の建築物だ。二階の客室は部屋ごとに階段状になっていて、廊下によってぐるりと建物内を一周出来る。もちろん、一階からの吹き抜けによって見通しはきくし、開放感はこの上ない。また、壁はほとんどが白色だけども、光の色で決して潔癖を思わせる白ではない。

こんばんわ。

声が響く。音楽だけが流れている。BGMという安物感がなく、そっと流れていた。ピアノとギターが壁にあった。ポスターにはつい先日ライブがあったことが書かれていた。きっと気持ちが良かっただろう。

こんばんわ。

誰も居ない。音楽だけが流れている。気持ちのいい空間だ。

こんばんわ。

ホステルの主人かと思われる、小さな男の子が出てきた。なにやら、ズボンを引っ張ってくる。どこに連れて行こうというのか。君は保育園児だね。しかも、ねんしょうさんじゃないかい?山形弁じゃないが、これじゃ会話が出来ないね。今夜ここでお世話になるものだけど、どうしたらいいんでしょう?まだ、楽しそうにズボンを引っ張る。風呂に入れとでも言うのかい?確かに汗臭いね。

やっと母ちゃんがでてきた。いやいや、助かった。

ホステルは初めてだというと、内緒でまけてくれた。会員価格に。お礼を言って、部屋へ。案内役は、例の彼だ。階段を上り慣れてるところを見ると、みんなを先導してくれてるのだろう。小さい頃からのお手伝いは、いいことだぞ。後ろから行ってみたけど、彼は上ることに必死だ。

先客はライダーだった。千葉を出て、北海道を回ってきたらしい。どうも話があうとおもったら、多摩市に住んでたことがあったようだ。こんなところで、こんな人に会うとは、楽しい。

書きつくせないような、楽しい話で盛り上がることが出来た。風景の描写は出来ても、会話の描写は難しい。すごくほっとする時間と空間で気がついたら深夜の二時だった。もう寝なきゃ。


朝は突然やってきた。だんだんと目覚めるのではなく。いきなり目が開いた。

そとが明るい。すばらしい晴天だった。雲は、夏の雲。千切れ雲がゆらゆらと浮かんで時折、日陰を作ったがすぐに明るくなる。緑がまぶしい。

深夜になっていつの間にか消えてしまった音楽も、心地よく流れていた。大きな窓からは日の光が入って、顔も洗わず、広間にあったロッキングチェアに座る。このまま、また眠れそうだった。外では蝉のかわりに、鳥が鳴いていた。夏は終わったのだ。

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本棚にはあふれんばかりの本。本棚は人を表す。と、思っているので早速探検。なかなか、話が合いそうだ。それだけで楽しい。

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光が優しい。冬は厳しいだろうけど、きっと炎が和らげてくれるのだろう。10月から使うこともあるそうだ。

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テーブルの数より多い椅子。きっとたくさんの人が何かで集まるのだろう。

朝食までの間に、ゆったり時間を過した。本を読んで手紙を書いて、窓の外を眺めて、久しぶりにゆっくりした朝を過した。実家に帰って、朝ごはんを待っている間のような幸福な時間だ。

朝ごはんは、地域の人からわけてもらったものをだしてくださった。有機玄米に、おいしい野菜。プチトマトが苦手なんだけども、こんなに甘いのは久しぶりに食べた。
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朝食後、ライダー氏と写真を撮り「いい旅を」とみんなで送り、『ノーザンライツ』の好きなところを読み返していたら、案内役氏やってくる。

ちゃんと朝飯くったのかい?どうも途中で抜け出してきたようだ。母ちゃんに怒られるぞ。そんなことは構うものかと案内役氏。ムシキングのカードを自慢げに見せてくれる。

と、そのとき。ハチかと思ったらオニヤンマが窓から入ってきた。すごい羽音だ。ハチよりもでかいし、目が恐い。案内役氏を膝に乗せて、しばし観察。

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構図:案内役氏。 シャッター:ねずみ。目標:どっかにいるオニヤンマ。

楽しい幸せな朝だ。


この時の一曲(たいら、もとい岸田風に)            
                     
ヨハン・セバスチャン・バッハ インヴェンション第1番ハ長調BWV722/グレン・グールド

 

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